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世界旅行の準備【お金編】

ぶっちゃけいくらいるの?という話です。
これについては、実際に僕が使った額を書くのが一番いいと思います。

旅のスタイルですが、簡単に言うと、ただのバックパッカーです。
僕自身、節約には心がけていましたが、死ぬほど節約したというわけでもありません。
アフリカ大陸では体調が悪かったので、航空券を贅沢にも2回も使いました。
酒はほぼ毎日飲んでましたし、たまに浴びるように飲んでました(笑)


【移動】
・タクシーは特別な事情がない限り使わない。
・バスよりも飛行機が安い時は飛行機を使う。
・5kmまでなら歩けるので乗り物は使わない。

【ホテル】
・基本的にドミトリー。少しくらいなら汚くても我慢できる。
・治安が悪い時は潔く諦めて値段が高い所でも我慢する。
・カウチサーフィンは嫌(人の家にタダで泊めてもらえる)

【食事】
・現地人が食べている食事を食べる。ローカル食堂、市場など。
・こぎれいなレストランには基本行かない。
・食事代が高すぎたら現地の食事も食べず、自炊する。
・甘味(ケーキ)代と酒代は節約しなくてよい。


こんな感じかなー。



【準備編】
・旅の準備費用


【旅行編】
・移動(飛行機)
・旅全体の費用









【準備編】

・旅の準備にかかったお金
money_before_travel.jpg
(単位:円)

 Excelでつけてたこづかい帳のコピペです(笑)
 約17万円かかりました。

 この他に支払いが発生するもの。
 ・カメラ
 ・バックパック
 ・パスポート
 ・常備薬




【旅行編】

・移動(飛行機、船)
airplanes.jpg
(単位:円)

 約35万円です。
 イースター島の往復航空券も含まれており、結果的に
 世界一周航空券を買うよりも、安くなりました。

 現地通貨での支払いを日本円に変えているので、小数点とかになってます。
 基本的には、skyscannerというサイトで航空券を検索し、
 検索結果に出てきた各航空会社のホームページで直接購入していました。



・旅全体の費用

 出発したのは2009年の10月。

 【旅行中の出費】
 合計:1,230,725円
 日数:342日間
 ---------------------
 1日あたり:3599円

 (純粋な旅行だけの金額を算出するため、カナダの滞在分は除外しています)

 体調不良による通院、飛行機での移動、一時帰国などの費用を除くと、
 おおよそ1日あたり3300円です。

 僕はヨーロッパに行っていないので、この金額でおさまりましたが、
 ヨーロッパにいくと、もっとかかっていたと思います。逆に、
 アジアを多めにして、さらに飛行機での移動を減らせば、もっと節約できると思います。

 あと、この金額は航空券代など、旅行中の全ての出費を含んでいます。
 時々沈没してましたが、基本的には観光が終わればすぐ次の街に移動していました。




 当初、1年間で100万円の計画でしたが、20万円以上も予想が外れてしまいました。

 一時帰国、体調不良による通院や航空券の購入を差し引いても、
 100万円以上はかかっています。
2011..24 予算 comment0 trackback0

4/30(土) 旅の終わりは静かに

ホテル近くの食堂で、白粥と肉まん、野菜まんを食べてから、
ホテルに戻って荷造りをすませ、チェックアウトした。



チェックアウトしてすぐにマニュエルはこっちのホテルに到着し、
俺たちはすぐにフェリーターミナルへと向かった。



途中、船の中で食べるインスタントラーメン、5食分を購入。
水も2リットル購入。
船の中で無駄な金は使えないので、最後まで節約。




ターミナルに到着してマニュエルと少し話をした後、彼はホテルへと戻った。



彼は中国が肌に合わなかったらしい。
可愛そうに…遠い所まで来て。




その後、俺はボケーっと他の乗客たちを眺めている。
乗っているのは、俺と同じく世界旅行をして帰国する人が1名、
外国人旅行者が数名、中国人留学生が1名、
そして日本人の旅行者が数名といった感じ。




搭乗の時間となり、パスポートを提示してチケットを受け取る。
係員が日本語を使い、いよいよ帰国するんだ、と実感がわいた。












出航から2日経った朝、久しぶりに日本の景色を見た。



DSC_4676.jpg
関門海峡






無事入国。
長い長い旅が終わった。




聞こえてる来る日本語、日本語表示、




帰ってきたなー、ついに。







1年半にも及ぶ長い旅行で、様々な事を得られた。
人間的にすっごい成長できたと思う。





でも、それをこれからの人生にどう生かしていくか。



「ただの楽しい旅行だった」でももちろん良い。




でも、それを生かすも殺すも俺次第。






俺はどっち側の人間だ?





貴重な経験を今後の人生に生かしていくか、否か?





口だけなら誰でも言える。ブログに書くだけなら誰でもできる。






これからが大変だ。
でも、一度しかない人生をもっともっと楽しんでいきたい。
でも、ただ遊ぶだけではだめで、真面目なところと
ふざけていい所の線引きはしっかりしないと。




人生は楽しい!!!



おわり。
2011..23 中国 comment0 trackback0

4/29(金) 出会いと別れ ~上海とボクと通り雨~

そもそも、僕が上海に来るきっかけとなったのには2つの理由がある。

1つ目は、友人が仕事の関係で、上海近くの街に赴任になった事だ。
当時、俺は中国という国に観光地としてあまり興味を持っておらず、他のアジアの国々には
旅行に行っていたものの、中国には行った事がなかった。
そして、その「あまり興味がない」という理由から、「友人がいる」
というだけでは中々足が重く、中国行きを決めかねていた。

そして2つ目は、TSUTAYAで偶然見つけた「夜の上海」という映画を見た事。
若い女性のタクシードライバーと日本人ヘアメイクアーティストが夜の街を彷徨う、
という内容だが、不思議な魅力に取り付かれ、上海という街に興味をもつきっかけになった。

2つ目の、「映画を見た」という理由だけでは俺は上海に行かなかったと思う。
興味を持ったけど、そんなにめちゃくちゃ惹かれたわけでもなかった。



これら2つが上手く重なり合わさって、上海に行く事になった。


上海に行き、友人に会うためにすぐに別の街に向かい、
数日後、上海の街に戻ってから観光をはじめた。

俺にとって、海外1人旅はこれがはじめてだった事もあり、
いつもとはどこか違う感じがしていた。



そして上海の街で、夜の上海のロケ地を巡っていた時、ついでに
街の写真を撮りながら散歩していると、雨が降ってきた。

カメラはデジタル一眼レフしか持ち合わせておらず、
雨が降っては写真が撮れないので、すぐに雨宿りすることにした。



その時に偶然見つけたのが、日本人が経営する、コーヒー豆を販売している、
「alt-coffee」という店だ。とても良い雰囲気の店で、近づくと
なんと日本語が書いてあり、とてもびっくり!!!コーヒー豆屋さんだが、
コーヒーも飲めるということで、店に入った。



店に入ると、すごい不思議そうな顔をされたが、すぐに店員さんと仲良くなり、
上海でお勧めの場所を押してもらった。



それが"田子坊"という、迷路のような狭い路地にオシャレな雑貨屋、アートギャラリー、
バー、カフェ、レストランが並ぶ一角だ。

「とってもいい場所だよ!」とおすすめされたので、
予定にはなかったが、教えてもらった数日後に行ってみた。



田子坊に到着し、その独特の雰囲気に魅了され、
バシバシ写真を撮っていると、またまた雨が。
例によってカメラの為にカフェで雨宿り。



そこで1人の中国人女性と出会い、この後、
俺の猛アタックにより2人は日本と中国の遠距離恋愛をはじめることなった。


俺は、この上海旅行を決める前から世界旅行の計画を練っており、
「旅の終わりはニューヨーク。自由の女神を見て旅を終える!」という事だけは決めていた。


だが、好きな人ができてしまった俺は、
「自由の女神より本当の女神がいる中国を最後の地にして幸せになろう」
という、とても人には言えない恥ずかしい計画に変更し、実行に移したのが今回の
世界旅行なのだ。





その女性とは、結局別れる事になってしまった。
しかも、連絡がつかない期間がとても長く、「連絡がつかない=フラれた」という
簡単な発想ができない僕は、ずっと悩みつづけながら旅行していた。







以上、長くなったが、俺の世界旅行のルートにまで影響を与えるきっかけになったのは、
"alt-coffee"だった。



ひさしぶりに行くと、当時俺が話した店員さんは辞めてしまっていた。
なので、普通にコーヒーを飲んで、豆を買って、俺は店を出た。





「俺にとってこの店との出会いはなんだったんだろう」



雨が降ってカフェで雨宿りするという事が1つの旅で2回も続き、
しかもその両方の店の店員さんが俺に良い影響を与えた。




この出会いは本当に偶然だったのだろうか?





俺が変わった事と言えば、中国語を話せるようになった事くらい。





もしかして俺の人生に中国語は必要になってくるのか?
そういう事なのか?





俺はカフェと中国語に不思議な縁を感じていた。







まだまだ時間はあったが、次の日に向かう、
大阪行きのフェリーターミナルの場所を確認し、まっすぐホテルへと戻った。





田子坊へは行かなかった。
行く理由がないし、行きたいとも思わなかった。






よし、日本へ帰ろう。
日本に帰って、真剣に働こう。
日本人として、日本を支えるためにまずは働かないと。

もっと日本の事も勉強しよう。
日本の歴史や日本の技術。そしてもちろん観光地。


俺は日本のことをぜんぜん知らない。
地元の大阪のことも正直あまり知らない。
たとえば、地元の大阪の南部にある堺は包丁が有名だが、
なぜ有名?他の包丁とは何が違う?といったことを知らない。

俺は旅行が好きなので観光ついでに勉強するようにすれば、
持続するはず。




旅をはじめてから、日本へ帰った時にやることを忘れないために、
俺はノートにメモしていたが、そのノートにどんどん書き込みをした。











この日の夜、香港であったマニュエルと会い、少し話をして別れた。
DSC_4665.jpg
最後の晩餐。屋台のフライとビール。




彼は最後を見送るよ!と言ってくれた。
どうやら、明日フェリーターミナルまで来てくれるらしい。
優しいな。



いよいよ明日で旅が終わる。
2011..23 中国 comment0 trackback0

4/29(金) 再見

次の日の朝、友人は7時前には家を出発して仕事に出るらしいので、
それまでに起きて挨拶をした。ま、わざわざ挨拶が要る仲でもないけど。
結婚式には何がなんでも出たい。
そして次回は、俺だけじゃなくて、ぜひ友人たちを連れていきたい。



嫁さんがおきると、

「朝ごはんは食べる?」と聞いてきた。
「上海についてから食べるから、大丈夫だよ」というと、


「上海ついてから?それじゃ遅いわ!」


といってキッチンへ。
あ、すみみせん。本当にありがとうござます。



DSC_4655.jpg
中国の普通の朝ごはんらしい。
お粥、馒头、卵、鶏肉、スープ。



俺は事ある毎にありがとうと言ったが、
話を聞くと、中国では家族や友人など、仲のよい関係では、いちいち
ありがとうとは言わず、わざわざ言うと逆に驚かれるのだとか。


へーおもしろい文化の違いだ。


ある時、嫁さんは母親に「ありがとう」と言うと、

「え?」

と聞き返されたらしい。よほどびっくりしたんだ。



その後も色々話をした。僕の事、昨年、友人からの報告でとても驚いた事、
友人が「外国語なんて一生いらん」と中学の先生に言った事、
その他様々な話を色々と。
「とにかく、たくさん話をしよう。」
この時はその事ばかり考えていた。


アフリカのサファリでテントを貼った時の写真を見せ、


「将来、皆でキャンプに行きたいんだけど、これる?」


と誘ってみた。



「子どもがいるし、旦那の仕事もあるし」
「私これまでキャンプに行った事が1度もないわ」


断られたか?いや、テント泊が嫌なのかもしれん。

だって見せた写真・・・
DSC_0189.jpg
これやもん(笑)

・・・コテージの写真を見せたら良かった。


まぁ、実現するのはかなり先やな。
2世帯キャンプを必ず実現させると、別の友人が言ってるし。
計画実行には後4人が結婚して子どもを作る必要が。。。




そして車でバスターミナルまで送ってもらった。
チケットを買って、待合室まで一緒に来てくれ、最後に

「式までに仕事が見つかったら来るよ」 というと、
「友達たちも一緒に来てね」 とのこと。


是非来たい!!!



最後の最後まで僕の心配をしてくれて、ええコやった。
それにめっさしっかり物やし。旦那はしっかり財布を握られているらしいが、
まぁそれは彼自身の為でもあるかと(笑)




あー楽しいイベントが終わった。





むしろ旅が終わった。






もうやりたい事なし。
むしろ、上海もできれば行きたくないが、
最低でも前日までには到着しておかないと。






ってかもう上海行きのバス乗っちゃってるしね。







この後、上海に到着した俺は、ユースホステルに1泊する事を伝えた。








行きたい所はどこもなかった。
どこにも行きたくなかった。





ただ1箇所、旅の最後を上海に決めるきっかけとなったカフェには行きたくなった。





このカフェに出会わなければ、俺はこんなに中国語を話す事もなかっただろうし、
嫌な思いをする事もなかっただろう。





でも、このカフェのおかげで素晴らしい出会いが生まれたし、
俺も人間的に成長することができた。






俺はインターネットでそのカフェの場所を調べ、そこまで歩き出した。






つづく。
2011..21 中国 comment2 trackback0

4/28(木) 友人夫婦に会うために中国の小さな街へ

今日は、現在中国に住んでいて、現地で結婚した中学時代からの友人に会いに行く日だ。
彼らは昨年末から今年頭にかけて日本に来ており、会うのは数ヶ月ぶりだ。

蘇州からはバスで行ける事を調べていたので、11時半頃にホテルをチェックアウトし、
結局、その町についたのは15時頃。

DSC_4611.jpg


俺はバスターミナルの近くのKFCで休憩することにした。

「ここが君の選んだ町か・・・」

KFCの2階から街を眺めている時にそう思った。
その街並は、これでまで訪れた都市とさほど変わらなかったが、特別な場所に思えた。


この町にはまた来ると思う。
そんな気がする。


17時近くになり、若い女性の運転で友達が到着。
しかもタクシーじゃない。会社に雇われた運転手か?

「嫁がおるのに若い女性の運転手なんてけしからん!!」

と思って近づくと、それは嫁さんだった。
つまり車も、おそらく家の車。

俺は車に乗せてもらい、彼らの家へ向けて出発。

中国にいる彼らは、すでに"夫婦"になっていた。
戸籍上もそうだが、そういう意味ではなく、2人の雰囲気。
前に会った時は、カップルの雰囲気だったのだけど。


とても幸せそうだ。


俺も早く結婚したい。
でも、まずは自分を好きにならないと。
その為にやらないといけない事は、旅する前に作った「やることノート」に色々メモしてある。
そしてフラれる、別れる旅に増えていった"課題"の数々。。。
あー多いなー宿題。



話を戻す。


最初は夕食を食べに行く予定だったが、
嫁さんの親戚の子どもの、1歳の誕生日会があるらしく、

「それに参加しないか?」

と誘われた。

おお!!!
中国人の誕生日パーティなんて、なかなか参加させてもらう事はない。
絶対行きたい!!!


でも、俺みたいなどこの馬の骨かわからんリーベンレンが行ってええもんなのか?
「行きたい」と伝えると、嫁さんは「わかった」とのこと。
返事が軽いな?そんなもんなの???
そんな簡単に参加しちゃっていいもんなの??



いいらしい。
やったー!!!!



そして家に帰らず直接パーティに向かい、
到着したところは、中国の小さな街の、さらに田舎。

DSC_4614.jpg


これ・・・俺がよく列車から眺めてた景色やん!!!
おおー!!!すげー!!!!


そしてパーティが開かれる家に行くと、料理を作っている人たちがいた。
ん?こんな田舎に食堂?

DSC_4619.jpg


行くと、こういう風に食材や調理器具を持ってきて、家の近くで料理を作ってくれる
人を呼んだらしい。すっげー金持ちやん!!

中に入り、友達から親戚の紹介をしてもらった後、
特に「はじまりますよ」というのもなく、たくさんの料理が運ばれてきた。

あ、そういうもんなの?

それに、こういうパーティは、主役が現れないまま終わる事もあるらしい。
ま、1歳やしね。
それに、今日のパーティの主役は、まだ1歳になっていないようだった。


DSC_4622.jpg
親戚の皆さん


DSC_4627.jpg

DSC_4638.jpg

DSC_4635.jpg
料理




俺は自分の中国語に自信がなく、ぜんぜん自分から話せなかった。
ものすごい後悔している。

料理はどんどん運ばれてきた。
こんな気出てきたら、どんなけ大食いでもお腹いっぱいになるわ。
それに全部うまい。特にスープがおいしかった。

嫁さんから「味の素が入ってるんじゃない?」というツッコミがはいったけど・・・。



そして、中国に入ってはじめて、紹興酒、黄酒を飲んだ。
紹興酒は薄いかな?と感じたけど、うまかった。黄酒はさすが50度とあって、
かなり強かったけど、こりゃまたうまい。
個人的には両方を混ぜて飲んだのが一番旨かったかな。



俺たちは嫁さんの運転で家へ。
途中、両親は別の所で降りた。どうやら、両親は職場に住んでいるらしい。
つまり、すでに2人一緒に住んでいるらしい。
・・・そういうことか。俺の中にある様々な謎が全て解けた瞬間だった(笑)


家に到着。
マンションだが、中は2階もある。

白を基調をした部屋で、とってもおしゃれ。俺、もっと色々ゴチャゴチャしているのかと
思ってたけど。。。


あーここか。
ここで2人で暮らしているのか。
・・・脳内の妄想が暴走しはじめそうだったので、すぐに色々話す事にした。



この日、本当は友人と2人で街に繰り出す予定だったが、友人はとても眠そうにしていて、
何度かイスで完全に眠っていた。明日も友人は朝早く起きる必要があるし、
(最初は)嫁さんを家に置いて2人で街をぶらぶらしようと考えていたが、
嫁さんを見ていると、嫁さんだけを家に残して街に出るなんてできなかった。
2人はとてもいい雰囲気だった。

僕にはこう、変に気を使ってしまうところがある。
後から考えると、相手はなんとも思わないだろうという事に対して。
ま、でもそういう人間なんだから仕方ないや。



2人と雑談しながら部屋を色々眺めていると、
今年の元旦に、俺たち友人がサプライズでプレゼントした、
メッセージカード&写真のボードがあった。

俺は完成品を見ていなかったので、ここではじめて見る事になった。
あ、こんな感じだったのか。
カメラマンを目指した友人が撮った写真と、彼のチョイスだけあって、
彼らの仲の良さが伝わってくるいい写真が選ばれていた。



そしてこの夜の話で、明日の朝嫁さんに、俺はバス停まで送ってもらえる事になった。
頑張れば1人でも行けるし、第一妊婦。断ればいい。
このときは何も言わなかったが、俺はこの日、ほとんど友人を介して日本語で
会話しており、直接嫁さんとはあまり話していなかった。

それに昨年、地元の友達との恒例の大晦日旅行に、友人が嫁さんを連れて帰国した時、
嫁さんと話す時間を十分にとれなかった。
嫁さんが俺等と気兼ねなく話すには、俺の頑張りにかかっているわけで、
心にずーっとひっかかっていた。


だからずっと会話しないと、と思っていた。まぁ内容はただの雑談だが。



そういう事もあって、あつかましいが明日送ってもらう事に。
一番いいのは友人と同じタイミングで家を出る事なのだが、
あまり早く起こしても悪いかな、と思い、いつも何時に起きているのかを聞いても

「何時でもいいよ」とのこと。

とりあえず8時出発という事にしてもらい、俺はシャワーを浴びて眠りについた。




そしてこの夜、夢をみた。しかも2つ違う夢で、はっきりと覚えている。
夢をみたのは中国に入ってはじめてだ。


1つ目は、小学校からの友達で、俺の家から一番近くにいる友達が結婚した。
彼に今彼女ががいるかは知らないけど、夢だから何でもあり。
メールが送られてきて、「披露宴の司会は別の人を選んだ、ごめんね」っていう内容。
何故か内容とは関係ない写真が添付してあった。こいつらしーな、と。

2つ目は、泊めてくれた友達の結婚式当日、
1つ目の夢で俺にメールを送った彼は参加できず、また何故か俺に、新郎新婦への伝言と、
あることをやってほしいという依頼のメールだった。
メールの中身を見る前に目が覚めた。


どっちの夢も、正夢になってもおかしくない内容だ。
上記で書いた事以外ははっきりと覚えていないが、とても幸せな夢だった。
それは、僕はこの日、彼らとともに行動した数時間で、彼らから幸せを感じたからだと思う。
彼らには幸せになってほしい。
"他の人の幸せを願う"ってこういう事なんだと実感した。
2011..20 中国 comment2 trackback0

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プロフィール

小太郎

Author:小太郎
1982年生まれのてんびん座。
面白そうな事にはすぐに飛びつきます。友人いわく、「フットワーク軽すぎ」

性格:優しいはず
趣味:写真を撮る事、旅行(国内、海外)、ネットサーフィン、外国語の勉強
好きなもの:スタジオジブリ作品(特に耳すま、海きこ)、新居昭乃(特に空の森)、Sound Horizon、hide、洋菓子、アザーン、酒、面白そうなもの、事
嫌いなもの:ゴキブリ、高野豆腐
口癖:ぐはっ、うは、ってか、


2009年10月5日から2011年5月1日までの世界旅行記を掲載。

北米→中米→南米→アフリカ→アジアと、
基本的にバス移動での旅行記を掲載。

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